最高裁判所第三小法廷 昭和61年(オ)1476号 判決 1993年4月06日
上告人
齋藤幸子
同
小谷中宮子
右両名訴訟代理人弁護士
大澤孝征
近藤文子
中松村夫
福嶋弘榮
被上告人
国
右代表者法務大臣
後藤田正晴
右指定代理人
中村誠
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
上告代理人大澤孝征、同近藤文子、同中松村夫、同福嶋弘榮の上告理由第一の一1について
自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という)七二条一項に定める政府の行う自動車損害賠償保障事業は、自動車の運行によって生命又は身体を害された者がある場合において、その自動車の保有者が明らかでないため被害者が同法三条の規定による損害賠償の請求をすることができないときは、政府がその損害をてん補するものであるから、同法七二条一項にいう「被害者」とは、保有者に対して損害賠償の請求をすることができる者をいうと解すべきところ、内縁の配偶者が他方の配偶者の扶養を受けている場合において、その他方の配偶者が保有者の自動車の運行によって死亡したときは、内縁の配偶者は、自己が他方の配偶者から受けることができた将来の扶養利益の喪失を損害として、保有者に対してその賠償を請求することができるものというべきであるから、内縁の配偶者は、同項にいう「被害者」に当たると解するのが相当である。
そして、政府が、同項に基づき、保有者の自動車の運行によって死亡した被害者の相続人の請求により、右死亡による損害をてん補すべき場合において、政府が死亡被害者の内縁の配偶者にその扶養利益の喪失に相当する額を支払い、その損害をてん補したときは、右てん補額は相続人にてん補すべき死亡被害者の逸失利益の額からこれを控除すべきものと解するのが相当である。けだし、死亡被害者の内縁の配偶者もまた、自賠法七二条一項にいう「被害者」として、政府に対して死亡被害者の死亡による損害のてん補を請求することができるから、右配偶者に対してされた前記損害のてん補は正当であり、また、死亡被害者の逸失利益は同人が死亡しなかったとすれば得べかりし利益であるところ、死亡被害者の内縁の配偶者の扶養に要する費用は右利益から支出されるものであるから、死亡被害者の内縁の配偶者の将来の扶養利益の喪失に相当する額として既に支払われた前記てん補額は、死亡被害者の逸失利益からこれを控除するのが相当であるからである。
原審の確定した事実関係によれば、上告人らはいずれも本件交通事故によって死亡した齋藤豊吉(当時満六二歳)の妹であるが、豊吉には内縁の配偶者甲野花子がおり、同人の生計は専ら豊吉の収入によって維持されていたところ、被上告人は、自賠法七二条一項に基づき、甲野花子に対して、同人が豊吉の死亡によって喪失した将来の扶養利益に相当する額として既に七〇〇万九六三一円(原判決四枚目表に「七〇〇万円」とあるのは誤記)を支払った、というのであり、以上の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯するに足りる。したがって、被上告人が甲野花子に対して支払った右てん補額は、上告人らが請求する豊吉の逸失利益の額からこれを控除すべきである。これと同旨の原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、これと異なる見解に立って原判決の違法をいうものであって、採用することができない。
同第一の一2について
所論は、原審の判断を経ていない事項につき原判決の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
同第一の二について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程にも所論の違法は認められない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎)
上告代理人大澤孝征、同近藤文子、同中松村夫、同福嶋弘榮の上告理由
第一 原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背があり、その内容は、以下詳述するとおりである。
一 原判決には民法第七〇九条、第七五二条及び自動車損害賠償保障法第七二条第一項の解釈・適用を誤った違法がある。
1 原判決が、訴外斉藤豊吉(以下、豊吉という)と訴外甲野花子が事実上の婚姻関係(内縁関係)にあったと認定したことは、後記のとおり経験則ないし採証法則に違反し、証拠の取捨選択を誤った違法なものであり、この点においても、原判決は破棄を免れないものであるが、かりに、原判決の認定の如く、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったとしても、原判決には、民法第七〇九条、第七五二条及び自動車損害賠償保障法(以下自賠法という。)第七二条第一項の解釈、適用を誤り法律上の根拠がないのに、内縁の配偶者に過ぎない甲野花子に政府の保障事業(以下保障事業という。)に対する保障金請求権を認めた違法がある。
(一) 要するに、争点は、内縁の配偶者が内縁の夫に対し扶養請求権を有するか否か、ひいては、扶養利益が侵害された場合扶養請求権の侵害として不法行為による損害賠償請求権が認められるかということ及び自賠法第五章の保障事業について、内縁の配偶者は、同法第七二条第一項にいう被害者として、保障事業に対し保障金を請求することができるかということにある。
(二) この点につき、原判決は、保障事業制度を社会保障的色彩の濃い制度として把え、ひき逃げ事故や無保険車事故の場合の被害者のように、自賠責保険によっては救済を受けることができない特殊な場合に、社会保障政策上の見地から、とりあえず政府において被害者に対し、損害賠償義務者に代わり損害をてん補することによって、特殊の場合の被害者を救済する制度であると解し、従って、保障事業に対する保障金請求権は損害賠償請求権の存在を前提とするもので、同法第七二条第一項にいう被害者とは、私法上の損害賠償請求権者と一致し、右権利者がその債権額に応じて保障金請求権を取得すると解するのが相当であるとした。
その上で、原判決は、内縁の配偶者には、死者に対し、同居及び協力扶助並びに内縁の生活から生じる費用の分担を期待しえたのであるから、甲野花子は加害車の保有者に対し、右扶養請求権(婚姻費用分担請求権ないし協力扶助請求権)の侵害による損害賠償請求権を有しているものというべきであり、そして同女のような相続人の範囲に属しない被扶養者が存在する場合には、亡豊吉の財産的損害については、少なくとも被扶養者の得べかりし将来の扶養利益の額に相当するものとして現実に支払われた金額を控除した残額が、相続財産たる逸失利益になるとし、内縁の配偶者は同法第七二条第一項の被害者として保障事業に対し保障金を請求することができるとした。
(三) しかしながら、以下に述べる理由により、内縁の配偶者には内縁の夫に対する扶養請求権ないし右権利の侵害に対する損害賠償請求権は認められず、仮に右扶養請求権ないし右損害賠償請求権が認められるとしても内縁の配偶者が、同法第七二条第一項の被害者として保障事業に対し、保障金を請求することができると解することはできない。
(1) 内縁の配偶者には、扶養請求権ないし扶養利益の侵害による損害賠償請求権を認めることはできない。
原判決は、内縁の配偶者が扶養請求権の侵害による損害賠償請求権を有することを認めているが、内縁の配偶者の右損害賠償請求権は否定されるべきである(東京地裁昭和八・一一・二二判決判時七四二号七〇頁)。
内縁の配偶者が被害者から扶養を受けていたとしても、これは法の保護の対象となる利益ではなく、被害者が生存し、生活を同じくする限りにおいて受けられる反射的利益にすぎないものであるから、内縁の配偶者には扶養請求権を認めることができず、内縁の配偶者が扶養利益の喪失をもって損害賠償を請求しうる性質のものではない。
原判決はこの点において、民法第七〇九条、第七五二条の解釈を誤っている。
(2) 仮に内縁の配偶者に扶養請求権ないし扶養利益の侵害による損害賠償請求権が認められるとしても、内縁の配偶者が自賠法第七二条第一項の被害者として保障事業に対し、保障金を請求することができると解することはできない。
ア 保障事業の制度は、原判決のいうほど社会保障的色彩がある訳ではない。
即ち、自賠法(同法第七八条)は、保障事業の財源を、自賠責保険料(共済掛金)の負担者でもある自動車保有者の支払う賦課金に求め、これにそのほとんどを負担させており、このことは、保障事業制度が一種の危険責任思想を背景として、本来、自動車保有者集団に属する人々(ひき逃げ事故の加害者や無保険者の保有者)の不心得な行動によって人身損害を被った被害者の救済を保有者集団全体の責任において実現するための制度であることを物語っており、従って、政府が保障金を支払うのもこの自動車保有者集団の拠出になる基金(保障事業基金)の管理、運営をなすものとして、保険会社類似の立場でこれに生じた債務を履行しているのであって、同制度はむしろ自賠責保険の延長線上に位置するものと解すべきである。
従って、同制度は、原判決のいうようにとりあず、本来の賠償義務者に代わって被害者の損害をてん補する社会保障的色彩の濃い制度として捕えることはできない。
ところで、内縁関係にある者(とくに内縁の妻)を保護する必要があるときは、労働者災害保障保険法第一六条の二、国民年金法第五条第四項のように各法律ごとにその旨の規定が置かれている。これは、内縁の配偶者に相続権が認められないことから社会保障的見地により特別に定められたものである。
保障事業については内縁関係保護についての規定は存しない。これは、右制度が労災保険法や国民年金法ほど社会保障的色彩の濃い制度ではないことから、敢えて、内縁関係保護の規定が設けられなかったものと理解すべきであり、従って、右規定が存在しない以上、前記制度趣旨からして、自賠法第七二条第一項の被害者に内縁の配偶者を含めるべきではない。
イ 次に、原判決が死者の財産的損害については、本来の逸失利益から内縁の配偶者の得べかりし将来の扶養利益の額に相当するものとして現実に支払われた金額を控除した残額が、相続財産たる逸失利益となり、内縁の配偶者は、右扶養利益額を保障事業に対し、保障金として請求する権利を有するとしているのは、相続の基本原則を定めた民法の諸規定に抵触するものであり、原判決のように解釈するためにはその旨の法律による明文規定が必要である。
(ア) 原判決のように、相続財産たる逸失利益が本来の逸失利益から内縁の配偶者の得べかりし将来の扶養利益額に相当するものとして現実に支払われた金額を控除した残額であるとすることは、それだけ相続財産を減少させることになるが、これは、相続の開始によって被相続人の有する権利義務は一身専属権を除いてすべて相続人に移転すること、即ち、被相続人の死亡と同時に、その権利義務は間隙をおくことなくただちに相続人に移転する旨を規定した民法第八九六条に抵触するもので、家族法秩序の根幹をなす相続制度を根底から揺がすものである。
(イ) 従って、このような国民の権利関係に重大な影響を及ぼす事柄について原判決のように、保障事業制度を社会保障的色彩の濃い制度として把えることのみを理由として、内縁の配偶者に保障事業に対して保障金を請求する権利を認めることは、自賠法第七二条第一項の解釈適用を誤ったものであり、到底許されるべきことではなく、内縁の配偶者の保護は国会の議決を経た法律の明文規定によってはじめて可能となるというべきである。既に述べた労災保険法、国民年金法、更に国家公務員等共済組合法第二条第一項第二号等において、明文で内縁の配偶者の保護を規定しているのは、右の理由に基づくものである。
(ウ) 従って、同様の理由により、被上告人が運輸省自動車局保障課長通達に過ぎない損害てん補基準実施要領で内縁の配偶者を保護する規定を置き、これに基づいた運用を行っていることは明らかに違法であるというべきである。
2 原判決は、保障事業からのてん補額については遅延損害金が発生しないとしているものと推測しうるが、これは、自賠法第七二条第一項の解釈を誤ったものである。
(一) 自賠法第七二条第一項の請求権が公法上の債権であるか、私法上の債権であるかは、争いのあるところであるが
(1) 保障事業制度が社会保障的色彩の濃い制度ではなく、むしろ自賠責保険の延長上に位置するものであり、その財源は自賠責保険に依拠していること
(2) 本件請求権の消滅時効期間は、会計法上の五年ではなく、私法上の請求権である自賠法第一六条第一項、第一七条第一項の規定による保険会社に対する請求権の消滅時効期間が二年(同法第一九条)とされているのと同じく同法第七五条により二年とされていること、そもそも、自賠責保険の二年という時効期間そのものが、商法第六六三条の保険金請求権の短期消滅時効の二年に合わせたものであること
からすれば、自賠法第七二条第一項の請求権は私法上の請求権であるというべきであり、従って、当然遅延損害金が発生するものといわなければならない。
ところで、自賠法には遅延損害金の支払いについて定めた規定はないが、反対にこれを否定する規定も存在しないのであるから、民法の原則により、当然年五分の割合による遅延損害金を附して支払うべきものである。
そして、右請求権は、期限の定めのない債権であるから、民法第四一二条第三項により請求権者が国に対して、その支払を請求した日から遅滞に陥り、国は、同日から遅延損害金を支払うべき義務を負うものである。
(二) 札幌高裁昭四七・五・一五判決(判例タイムズ二八〇号二四八頁)は自賠法第七二条第一項の保障金についてはもともと遅延損害金を附して支払うことを予定していないとみるべきであるとしているが、これは、(一)で述べた理由により同条の解釈を誤ったものである。
かりに、右判決のような解釈が成立するとしても、右判決と本件とはその事案の内容を異にし、右判決の解釈をそのまま本件にあてはめることは許されない。
即ち、右判決の事案は、政府の認定額については争いはなく、遅延損害金についてのみの争いであったが、本件は、被上告人が上告人らに対する支払額の認定を誤り、適切な損害のてん補を怠った事案である。
適切な損害のてん補がなされていれば、上告人らは支払を受けるべきであった金額を運用するなりして、相当な利益を上げ得たはずである。被上告人が適切な損害のてん補をしなかった責は、被上告人が負担すべきものであって、上告人らが負うべきものではない。もし、本件の場合も、被上告人が遅延損害金の支払を免れるとするならば、被上告人が判断を誤ったことによる不利益を上告人らに負わせることになり、信義則に反するといわなければならない。
二 原判決には、経験則ないし採証法則に違反して証拠の取捨選択を誤った違法がある。
1 原判決が、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったこと、原告らと亡豊吉との交際状況は疎遠であったことを認定した点について。
(一) 証人折原昭は、亡豊吉と甲野花子が昭和三六年一一月ころ、証人の亡父折原清吉の自宅において、結婚式を挙げた旨証言しているが、同証言及び原告斉藤幸子の本人尋問の結果によれば、証人折原のいう結婚式に亡豊吉の姉妹である原告らが出席していないことが認められる。ところで、原告らは何故結婚式に出席しなかったのであろうか。この点につき、証人折原は「当時のことは、私はまだ成人に達していなかったのでよく分かりませんが、亡豊吉からの申出がなかったのだと思う。」旨証言しているだけであり、要するに証人折原は、原告らが結婚式に出席しなかった理由についてはこれを知らされていなかったことが認められる。ところで、結婚は人生の重大事であって、結婚式を挙げようとするときは、その親族(ことに親、兄弟姉妹)にはこれを知らせ、出席を求めるのが古来からの我が国の風習であることはいうまでもない。
原告斉藤幸子の本人尋問の結果によれば、昭和三六年九月ころ、甲野花子を作女として雇用していた前記折原清吉が、原告斉藤幸子方を訪れ、亡豊吉を作男として亡豊吉を迎えたいと申し出たことがあったが、その際、右折原清吉は、亡豊吉と甲野花子が結婚する予定であることは一言も話していないことが認められる。証人折原の証言及び原告斉藤幸子の本人尋問の結果によれば、亡豊吉は五歳のころ脳膜炎を患ったため、成人してからも、小学校一、二年生程度の知能しか有しておらず、甲野花子もいんあ者で手話などの意思伝達手段を持ち合わせていなかったことから、右折原清吉は、亡豊吉及び甲野花子の後見的役割を果たしていたことが認められるのであるから、真実、亡豊吉と甲野花子が結婚予定であるなら、同年九月ころ、右折原清吉が原告斉藤幸子方を訪れた際、同女にその旨話すはずであるのにこれを一切話していないのは、極めて不自然である。このことからすれば、亡豊吉と甲野花子が結婚式を挙げたというのは、極めて疑わしいというべきである。
(二) 亡豊吉と甲野花子は婚姻届を提出していないが、これについて、証人折原は、右折原清吉の意思を推測し、「別に籍にこだわる必要はないだろうということだったと思う。」旨証言しているが、昭和三〇年代の健全な社会風潮は結婚しながら婚姻届を提出しないという事実を容認するものではない上、右折原清吉は当時町会議員の公職に付いていた人物であることを考え併せると、亡豊吉と甲野花子が結婚しながら婚姻届を提出しなかったというのは極めて不自然である。また、原告斉藤幸子の本人尋問の結果によれば、亡豊吉と甲野花子が居住していたという家屋内には水道等の炊事設備がなかったことが認められる。
(三) 右(一)、(二)からすれば、亡豊吉と甲野花子が同一家屋内に居住していたとしても、その関係は夫婦の実体が存在しない単なる同居にすぎなかったものと認めることがより自然である。右のように認定してはじめて、原告斉藤幸子が本人尋問の中で、「亡豊吉が私方を訪れるときはいつも一人で甲野花子を連れて来たことはなかった。亡豊吉から嫁がいると聞いたことはなかったし、私が亡豊吉を尋ねて行ったときに甲野花子を亡豊吉の嫁として紹介されたことはなかった。」旨述べていることを極めて矛盾なく自然かつ合理的に理解することができるのである。
ところで、<書証番号略>(吉田朝之及び柴村澄作成の証明書)、<書証番号略>(関根福松作成の証明書)及び<書証番号略>(飯塚くに作成の証明書)は、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったことを認めるに足りる証拠ではない。吉田朝之は、証人折原の妻の実父であり、柴村澄は町会議員、関根福松は折原清吉の知人、飯塚くには民生委員であり、いずれも、町会議員であった折原清吉と公的にあるいは私的関係において、深いかかわりを持っているものであることからすれば、右各書証は、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったことを認定するには極めて証拠価値の低いものといわざるを得ないからである。
(四) 最後に、原判決は、原告らと亡豊吉との間に行き来があったとする原告斉藤幸子の本人尋問の結果を措信できないとして排斥し、原告らと亡豊吉との交際状況は疎遠であったと認定しているが、その認定の証拠とした証人折原の証言においても、折原自ら原告らが亡豊吉を何度か訪ねている事実を認めた部分もあるのであって、原判決がこの事実を無視し、前記事実を認定したのは極めて軽々のそしりを免れない。
(五) 従って、原判決の亡豊吉と甲野花子が事実上の婚姻関係(内縁関係)にあったこと、原告らと亡豊吉との交際状況は疎遠であったとの認定は経験則ないし採証法則に違反したものである。
2 原判決が亡豊吉の逸失利益を算定するにあたり、中間利息を控除するためにライプニッツ係数を用いている点について。
<書証番号略>(政府の自動車損害賠償保障事業損害てん補基準及び自動車損害賠償責任保険(共済)支払基準)中の第3の2によれば死亡による逸失利益は新ホフマン係数を乗じて算出することとされており、政府保障事業はこれに基づいて運用されているのであるから、原判決においても、これを採用すべきであるのに、ことさらライプニッツ係数を採用したのは採証法則に違反している。
3 原判決が亡豊吉の慰謝料を二〇〇万円が相当であるとした点について。
民事交通事故訴訟における損害賠償算定基準(昭和五九年二月)によれば、死亡による慰謝料は独身の男性でも一、一〇〇万円から一、三〇〇万円とされており、原判決がこれをわずか二〇〇万円しか認めなかったのは、経験則ないし採証法則に違反し亡豊吉の精神的苦痛の程度の認定を著しく誤ったものである。
4 原判決が原告らの固有の慰謝料を〇円とした点について。
原判決が右認定の理由とするところは、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったこと及び原告らと亡豊吉との交際状況は疎遠であったことに尽きるのであるが、亡豊吉と甲野花子が内縁関係になかったこと、原告らと亡豊吉の間には行き来があったことは既に詳述したとおりであり、原判決の理由はその前提を誤っているもので、原告らの固有の慰謝料を〇円とした原判決は明らかに経験則ないし採証法則に違反している。
5 原判決が原告らが負担すべき葬儀費用はこれを認めるに足りないとした点について。
原判決は、右の点についても、亡豊吉と甲野花子が内縁関係にあったことを理由としているのであるが、亡豊吉と甲野花子が内縁関係になかったことは既に詳述したとおりであり、従って、原判決が原告らが負担すべき葬儀費用はこれを認めるに足りないとしたのは明らかに経験則ないし採証法則に違反している。
6 原判決が、亡豊吉が死亡する原因となった交通事故の発生につき亡豊吉に一〇パーセントの過失割合を認め、過失相殺を行っている点について。
本件事故の態様は<書証番号略>(民事交通訴訟における過失相殺率の認定基準)の例とほぼ同様であると認められ、これによると、亡豊吉には基本として一〇パーセント、加算要素として夜間の事故であるため五パーセントの過失割合が認められるが、他方、本件事故態様は、加害車が直線道路のほぼ中央付近を自転車を押しながら歩いていた亡豊吉に対面から衝突したというもので、加害者に重大な過失が認められるので、減算要素の二〇パーセントを減算して計算すると、結局、本件事故においては、過失相殺されるべき過失割合は〇パーセントということになる。従って、亡豊吉に一〇パーセントの過失割合を認めた原判決は明らかに経験則ないし採証法則に違反している。
第二 以上により、原判決には、明らかに法令違背が認められ、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は速やかに破棄されるべきである。